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2007年4月
ア ルゼンチン。。。
久しぶりにこの地に訪れようとしている私であるが、今回まるで空港にいくまで、
そして現地に着くまで緊張感のかけらもないから不思議である。
それどころか逆に、今回使用したコンチネンタル航空は
アルコールが有料だ と説明を受けて
「高 い。これだからアメリカは!!」
と激怒し、それでいて結局大人しくジュースを飲む有様である。
乗り継ぎのため6時間ヒューストンで待たされはしたものの、
成田から約22時間で無事にブエノスアイレスに到着。
が、やはり地球の裏側にいるにもかかわらず、久しぶりと言うより、
むしろ「近所に行く」感覚とほとんど変わらないというのが妙であ る。
ローカルバスを乗り継いで市内まで。
実に懐かしいが、一回利用が、なんと30円程度と激安。
いかに物価が安くなったといえ、
市内バスに2時間も乗って
100円かかってないのである。
私は思った。
アルデンチンは素晴らしい!!!!
もはや国の印象とはおおよそ関係ないところで評価している今日この頃であるが、そんな事は私にとって大きな問題ではない。
さて、俺が今回行く宿は既に決まっていた。
その宿の名前はなんと
「日本旅館」
知らない人は「なんのこっちゃ」って感じですが、
実はここは日本人だけしかいない、日本人旅行者専用の宿なのです。
ここは以前にもお世話になっていたのですが、バイクが置ける上、かなり融通がきき、更に旅の情報が豊富に集まるので、旅の出発地には正に最適な場所。
実は前回の旅行の時、バイクにつけていたアルミ製のサイドボックスをここに預けたまま帰国したのですが、それを今回また使用しようかな、と。
なにしろ3年もほったらかしだったんで正直まだ置いてあるかどうか微妙でしたが、念のため出国前にメールで確認したところ「まだある」とのことだった。
オーナーはよく3年も置かせてくれていたと思うが、
とにかくオーナーの島藤さんにはただただ感謝である。
さて、そんな訳で、お昼過ぎに日本旅館に到着。
中に入れば2年半前と全く変わらない、なんとも懐かしい雰囲気。
そして奥にある談話室では、
真昼間から堂々マージャン
が繰り広げられているではないか!?
3年前となんらか変わりのない、日本人宿独特の雰囲気・・・。
ああ、帰ってきたんだ、と実感した。
ちなみに、日本旅館の説明をしておきますが、ここの宿は、長期滞在者がほとんどであり、1ヶ月2ヶ月程度の滞在というのが短い部類に入り
1年や2年、中には3 年前の旅行の時に会った人がまだい たりと(笑)
かなりツワモノな旅行者
(もはや旅行者ではない気もするが笑)
が集う場所でる。
例えば、サルサなどの踊りに魅せられて滞在する人、
プロのサッカーチームに所属している人、
物価が安い上、居心地が良いから長居する人、
旅ではなく、住んじゃってる人、
特に目的も無くなんとなく長期滞在している人、
長旅などで一息ついてる人など、
様々である。
要は普段会えない人に会える所なのであるが(笑)
雰囲気は一種独特で、昼あたりから明け方近くまで、ホテル中の何処かで麻雀が繰り広げられており、
起きる時間も朝、昼、夕方と、かなりバラバラ・・
言わば、時 間の区切リは、ほぼ皆無に等しい!!
見方によってはかなり異様である(笑)
なので、 『沈没』 と言う旅行用語の本当の意味を知りたい人、
普段の生活に疲れた人、
いい意味で?ダメ人間になりたい人、
24時間耐久麻雀したい人、
毎日肉食いたい人、毎日酒呑みたい人は、
アルゼンチン、日本旅館に是非!?
とにかく、無事についたアルゼンチンなのだが、意外な落とし穴があった。
それは先ず、意外なことにバイクの受け取りである。
何より、アルデンチン人が本当、マイペース!!
バイクをただ受け取るだけなのに、
『まあ、とにかく待て』とか、『明日から倉庫が休みだから来週だ』とか、
いろんなことを理由にされて、どんどん時間だけ経ってゆく・・。
もう、日本的な考え方してたらイライラして仕方ないですわ。
だから、あまり深く考えない様に心がけている私である。
この国はみんなこうなんだから、仕方ないと・・・。
いくら彼等を責めても、結局意味ないですからねえ。
ホント、意味がない。
そう思いつつ、結局受け取れたのが2週間後。
まあ、受け取れたのでそれは良しとしますが、この時に一つ事件があった 。
バイクを受けとる当日、
バスでバイクが置いてあるメガトンという倉庫に行った時の事なの だが、
バスを降りて歩いていたら、ふと背中が寂しい事に気が付いた。
よく考えて みたら一緒に持ってきたバッグがないのである。
ヤバイ。
バスに置き忘れてきた!!
中には、海外をバイクで旅する上で
絶対に必要な書類が 入っており、ないとかなり厄介なのである。
はっきり言って旅行がいきなり強制終了に なってしまう。
それにしても、東京ならまだしもアルゼンチンで荷物を無くしたら探すのは、ほとんど不可能に近い。
まず、東京の何倍もの面積もある広大なブエノスアイレスで、 何十、何百のあるバスの中の、自分の乗ったバスの確認をするなんて考えただけで気が遠くなってくる。。
さらに言うならここアルゼンチンでバスの中に荷物の置き忘れなど、ほぼ取られると思って間違いが無い。
バスターミナルの場所すら分からない状況で、正にパニック。
それよりなにより、大体
『バッグ をなくしたんだけどバスターミナルの場所がどこなのか教えて欲しい』がスペイン語で言えない!!
ほとんど絶望的である。
困っていたのだが、 よく考えてみたらメガトンの受付にいた女の子が英語を喋ってたのを思いだした。
彼女に頼んで紙に前述の内容を書いてもらい、オレの乗った74番のバスに乗りこみ紙を渡すと『まあ乗りなさい』といってバスに乗った。料金を払おうとする と
『いいからいいから』といって運転手は決して受け取ろうとしなかった。
こういう時はお互い様なのだろうか、そういうシステムなのか分からないが、
なんとなくこの時俺は、不思議と彼等の温かみみたいな物を感じた。
バスターミナルはどこかと思って乗っていたらバスに乗ってから40分ほどと結構遠距離な場所にあった。
とりあえず『ここだ』と言われて下された建物がターミナルらしく、
早速近くにいた警備員に尋ねると 忘れもの預かり所に連れて行ってくれました。
すると『ちょっと待て』、と言って警備員は中に行って聞きに行ったのであるが、2分ほど後に帰って来た彼の言葉は
『なかった』
だった。
やっぱりそうか...。
分かっていたけど、実際に言われるのは、かなりこたえる。。
しかし彼は続けて
『大 丈夫、これからお前の乗ったバスが来る』
というのだ。
出たよ、と 思った。
南米を旅してトラブルがあった際、現地の人が
『俺に任せろ』的な事を言って自信たっぷりに言うので安心してたら、後になって『やっぱりダメだった』と言われ愕然とする事が南米では頻繁にある。
要するにその自信には全然根拠が無いのだ。
今回も正にその典型的なパターンだった。
『いつ来るんだ』と聞いてみたら、
『あ と5分だ!もうお前の乗ったバスが来る。』
お前の趣味は、当たらない予言かあ あああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
大体、50キロ以上の距離を往復している何十本もの74番のバスの内、
オレの乗ったバスがすぐ来るのが、何故分かるのか意味がわからない。
そして、座り込んだまま40分経ち、彼が突然、
「走れえ!!」
と言い出した。
指差す方向の先は確かに74番のバスであるが、そんなの5分に1回は通ってる。
あまりにうるさいので、渋々そっちに行って見たら、丁度、運転手の交代の時間だったらしくバスは停車していた。
そして交代した 運転手の手には、何と俺のバックが!!
これにはかなりびびった。
彼の予言は当たったのだ(笑)
運転手も、良かった良かったと喜んでくれて、結果的には事なきを得た。
しかし、見つかったのは、ほとんど奇跡に近かった。
そして、バイクも無事受け取り、出発の準備はすべて整ったのである。
それはブエノスに到着してから、12日目の 事であった。
そして4日後、全ての準備を終えて、とうとうブエノスアイレスを出発。
さて、ブエノスを旅立ってはじめに向ったのは、アスールという、
ブエノスから300キロ程南にある街だった。
アスールは、見所はおろか商店すらもほとんどなく、ガイドブックには絶対に載ってない小さな町なのである。が、なんとここは、
知ってる人は知ってるけど、知らない人は全く知らないという、マ ニアにとても有名な場所なのである。
実は、ここアスールには、ホルヘというバイク好きなアルゼンチン人が住んでいて、
彼は世界各国のライダー、その中でも特に日本人が好きだという親日家である。
なんでも、たまたまアスールを通りかかったバイク旅行者を引き止めては自分の所に泊めているうちに口コミで広がって行って、そのうち皆自分からホルヘのと ころを訪ねて来るようになったという話である。
それにしても、日本人が好きな割に、
日本語はおろか、英語も全く喋れないという
変なおっさんだが、そんな事は全くお構いなしといった感じでとても気さくでいい人である。
最近は日本人のほか、外国人ライダーもここに立ち寄るので、今は世界中のライダーがここに来るようになった。
趣味高じて...という言葉があるが、ここまで規模がでかくなるというのも珍しい。
すると夜、たまたま来客が訪れた。
日本人の女の子だと言うので見に行くと、何所からどう見てもライダーではない。
チャリダー、ライダー以外での旅行者はここに来ることはほとんど有り得ないのであるが、話を聞いてみて納得できた。
実は2年ほど前、ホルヘに世話になった日本人旅行者経ちが皆でカンパしてホルヘを日本に招いた事があるという。
北海道、東京、大阪といたる所を案内し彼を歓迎したらしいのだが、ホルヘが東京に来た時の飲み会に彼女もいたという話だ。
そして2年経って、たまたまアルデンチンに旅行に来た彼女は、ホルヘに会いにお土産を持って訪れてくれたのである。
ことの他、一番驚いていたのはホルヘ本人だった。
よほど嬉しかったのだと思う。
その夜は当然、ホルヘの友達なども含めてみんなでアサード(焼肉の事)パーティだった
。食って飲んで喋って、とてもいい夜だった。
彼みたいな人生も素敵だなあと思う。
そして俺はここに2日間滞在した後、ウシュアイアに向うことにした。
正直、もう少し滞在したかったが、南部は雪が気になる。
それにしても、走りながら
「大丈夫なのか」
という不安と
「なんとかなるよ」
という楽天的な、2つの思いを心に同居しつつ、
ああ、ここから、本当の旅が始まったんだな
、と気付いた。
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